本書は人工知能である「コンピュータ将棋」と史上最強の将棋のプロ棋士との勝負をメインテーマとした小説である。
世界的AI研究者である相場俊之と7冠最強棋士の取海創が主人公となり物語は進んでいく。
2人の年少期の頃の話と現在の2人の話が交互に繰り広げられる構成になっている。
将棋小説といってもあまり将棋の具体的な戦術のことは書かれていないので、将棋をよく知らない人でもすんなり読み進んでいけるだろう。
また、あくまで本書はフィクションなので現実の世界の将棋における人間VSコンピュータ将棋の話題とは少し切り離して読んだほうがいいと思う。
本書で最も大きなシーンは相場俊之という天才的才能の持ち主が数学と将棋との狭間で葛藤するところだろう。
人生においては誰もが大なり小なり重大な決断を迫られる時がある。
相場は結局、将来を嘱望されながら三段リーグ在籍中に奨励会を退会し、数学の道を進むことになる。
そして数学の分野で着実に成功を収めながら、将棋の事は忘れようとしていた。
しかし、ふとした時に将棋の事が頭をよぎる。
周りの人間もまた、相場を再度、将棋の世界に引きづり込もうとする。
このような人間の何に情熱を注ぐのかという葛藤を本書は丁寧に描き切っている。
その一方で取海創は史上最年少プロ棋士となり、プロ入り後も圧倒的戦績を収めていく。しかしその取海も将棋に没頭していたものの、裏で数学の面白さに気づいていたのだった。
著者が理系出身であることも影響してか、相場の大学教授として奔放する日々や相場の父が経営者である東洋エレクトリックという会社の特許に関わる内容も描かれており、本書は純正将棋小説ではない。しかし私にとってはこのような構成になっている小説のほうが新鮮味があり、読んでいて楽しかった。この特許に関わる内容も将棋さながらの駆け引きが行われる。そこもひとつの読みどころであると思う。
最後に本書の中で私が最も印象に残ったシーンを引用する。
相場とその友人の高野の会話の一部だ。まず相場の言葉から引用する。
「将棋をやっていたときは、常に自分の持つ最高の能力を引き出していなければダメだった。敵は最高の状態での対戦相手を研究し、勝負を挑んでくる。そのためには生活のすべてを将棋に捧げる。一歩退けば、レベルが何段階か下がる。もうプロとは言えないレベルにまで落ちる」
「言うことは分かるが、納得はできないね。特殊な分野の能力は努力や練習では補えない部分が多い。最先端で勝負している者はなおさらだ」
「能力は努力に勝ると言いたいのか。そのとおりだ。恵まれた能力を持つ者たちが最大の努力をしてトップを競い合い、地位を維持できる世界だ。それを怠れば転がり落ちる。科学、技術、スポーツ、芸術、どんな世界でもトップを目指すなら同じことだ」
だから、自分はここで将棋にかかわっているわけにはいかない、相場はその言葉を吞み込んだ。
「俺が言いたいのは持って生まれた才能が九割で、日ごろの努力で生み出せるのは残りの一割くらいだということだ」
相場は黙っていた。否定のしようがない。だが、その才能を持つ者たちがトップを狙って懸命に努力している。
高嶋哲夫著「電王」p134~135より
このシーンは非常に印象に残った。現実のプロ棋士の世界もここに描かれているような厳しい世界である。奨励会を抜けるまでが非常に狭き門であるし、そこからプロ棋士になっても厳しい競争の世界が待っている。
それはどんな世界でもトップを目指すのなら同じ。
本書を読むことでそのような世界を疑似体験できたのは楽しかった。
多くの人に読んでもらいたい小説だが、特に今、大きな決断に迫られていて悩んでいる人に読んでもらいたい。きっと何らかのヒントが得られると思う。