はじめに
本日、夕方に驚きのニュースがTwitter上で流れてきた。
先ほど日本将棋連盟から発表があり、森内俊之九段が新年度からフリークラスに転出となることが発表されました。「A級順位戦で降級となったことを受けて出した結論です」とコメントを出しています。永世名人の資格を持つ名棋士が、名人戦・順位戦からは身を引くこととなりました。
— 村瀬信也 (@murase_yodan) 2017年3月31日
私もこの件を知って大変驚き動揺した。
衝撃の事実
— suimon (@floodgate_fan) 2017年3月31日
森内さんどうしてしまったのか…
森内先生は、「鉄板流」というネーミングを自身ではあまり好まなかった。
— suimon (@floodgate_fan) 2017年3月31日
自分の将棋に対する妥協は一切なかっただけにA級降格という事実はあまりに重かったのかもしれない。
そして昨今の将棋界の情勢も少なからず影響はあるはず。
今回はこの記事で私が今まで感じてきた森内将棋の魅力について、過去の将棋世界や書籍を参照しつつ振り返っていきたいと思う。
矢倉の歴史を作り上げた「森内流」
私が森内九段の将棋で最も印象に残っている形と言えば、それは矢倉における「森内流」と呼ばれる形である。
森下卓九段著 未来の定跡 現代矢倉の闘いより引用する。
最強の森内流
△8五歩と飛車先を突くのは、矢倉戦では不可欠な一手と考えられてきた。その常識に疑問符を投げかけたのが森内俊之八段である。△8五歩は絶対の一手とは限らない。いや、場合によっては飛車先の歩は8四のままの方が都合がいいこともある…。飛車先は△8四歩で止め、代わりに9筋を突き越す。こうして△9三桂~△8五桂を狙うのだ。遊び駒になりがちだった後手の右桂に働きが生まれ、難解な局面が続出する。
この△8五歩を保留する「森内流」と呼ばれる指し方は事実、アマチュア界でも大流行した。
当時私は高校生だったが、全国アマチュア将棋竜王戦でもこの戦型を指す高校生が多くみられたものだ。
「森内流」は先手の穴熊への組み替えを牽制している。
以下、先手が矢倉穴熊を志向すると下図のような局面になる。
9筋からの殺到を視野に入れているので先手は動きずらくなっている。
すでに先手が上手くいっていない局面なのだ。
それまでは△8五歩を早くに決めることが多かったので先手は悠々と矢倉穴熊にしてガンガン攻めることが出来たが、この「森内流」の指し方が流行し、先手矢倉は一時期受難の時が続いた。
また未来の定跡 現代矢倉の闘いから引用する。
進化する森内流
4六銀・3七桂型に対して後手がどう立ち向かうか。
これが現代矢倉の最大のテーマだった。
ところが森内流の出現は矢倉戦を大きく変えた。
私の感じではおそらく後手番の勝率が1割はアップしたのではないか。
これは凄い数字である。
森内流のおかげで先手番で矢倉を目指す将棋が減ったというデータもある。
長い矢倉戦の歴史のなかで、久しぶりに先手番が容易でないという現象が起きているのだ。
このように当時は本当に後手番矢倉の勝率が1割もアップしたのは私自身も感じていた。先手矢倉で攻めを続けるのが容易ではないし、後手だけ△8五桂から駒をうまく活用できる将棋が目立ったのだ。
すべての駒を有効活用するというこの森内流の思想は今もなお、形を変えて受け継がれている。
対羽生戦での妙手
森内九段は2000年前半以降、棋界で数々のタイトルを獲得していった。
その中にはキラリと光る内容の将棋が多い。
例えば、この将棋だ。
第53期王将戦七番勝負第6局
先手 森内ー後手 羽生
角換わり腰掛け銀から激しい戦いになった中盤の局面。
6六の角に照準を定めた△5四桂が痛いように見えたが次の一手が妙手だった。
(上図からの指し手)
▲8四角(下図)
▲8四角と飛車の効いている箇所に飛び込んだのが妙手。
これに対して△同飛と取るのは▲4三銀が厳しい一着となる。
そこで本譜は△3二銀と受けたが、以下▲5一銀△5二金 ▲2四歩 △8四飛 ▲2三歩成 △4一玉▲6二金 △5一金 ▲3二と △同 玉 ▲5一金(下図)
と進み寄せ切ることに成功した。
森内九段は「鉄板流」というネーミングもあり受けに定評があるように言われるが、このように中盤の難所できらりと光る妙手を放って勝利することも多かったのである。
もし将棋がダメになっても、自分が必要とされる仕事は他にある
森内九段(当時名人)は第70期名人戦において挑戦者の羽生二冠と対戦した。
そのタイトル戦前に森内九段は公式戦において11連敗を喫しており、戦前の予想では羽生二冠の名人奪取を予想する声が多かった。
しかし、森内名人は結果的に4勝2敗で名人位防衛に成功する。
その時の将棋世界に掲載されたインタビュー記事から引用する。
防衛から3日後、森内に話を聞いた。
まず尋ねたかったのは開幕前の心境だ。
前年度の名人の勝率は3割台。
開幕直前にストップしたとはいえ、11連敗を喫していた。
周囲は「不調」とかまびすしかったがー。
「羽生さんとは活躍のレベルが違いますし、苦戦すると予想していました。
『1局でも多く指せれば』という気持ちで臨みました」
今年に入って、森内の同世代の棋士がタイトルホルダーに返り咲いた。
40歳を過ぎ、心境の変化はあるのか。
残りの棋士人生についてどう考えているのか。
「年をとったからといって焦りはまったくありません。
これまでずいぶん対局させていただきましたし、もし将棋がダメになっても、自分が必要とされる仕事は他にあると思っています。
将棋を指すことが人生のすべてではありません」
森内はきっぱりとした声で語った。
将棋世界 2012年 08月号 [雑誌] p16より
このように森内俊之という棋士は常に謙虚であり、自分を客観的にとらえられることのできる人なのだと思う。
よって今回のはじめにの内容に戻るが、フリークラスに転出しても森内九段が活躍できる場はたくさんあると信じている。
一流の棋士が「将棋を指すことが人生のすべてではありません」とはなかなか言えるものではない。そこに私は森内九段の人間としての器の大きさを感じずにはいられないのであった。